会えない

大好きなアイドルのこと

天ヶ瀬冬馬のプロデューサーにはならない話

4thお疲れ様でした。
さいたまスーパーアリーナの地でJupiterのステージを400レベルの席から見降ろしていた筆者はあのときあの舞台でパフォーマンスをしていた三人の役者に大好きなアイドルたちの姿を重ね、興奮しながらもどこか冷めた心でいました。

※この記事は筆者の長文吐き出しと言い訳で構成されています。
今流行りのお気持ち表明的なやつです。担当アイドル(特にJupiter)のプロデューサー業を楽しんでいる方にとって気持ちがいい話ではありません。




Jupiterのステージはすごい。
今回披露されたGLORIA MOMENTはAlice or Guiltyのアンサーソングと言われているだけあってどこまでも荒々しく、重く、強い曲だ。何本も火柱が上がり、マイクスタンドで表現されたステージはまさに圧巻だった。
ライブ開始前、自分は号泣するんじゃないかと思っていたが涙は一切出なかった。その代わりに気が狂うほど叫んだ記憶がある。これは完全に贔屓目だがイントロから終わりの瞬間まで、どの曲よりも会場全体が熱かった。

ライブ後、ツイッターでも呟いたが筆者はいわゆる「アイドル」と「中の人」を同一視していない。「中の人」は「アイドル」に一番近い存在で理解者で表現者ではあるけれど、彼らは決して「アイドル」ではない。
あのステージに立っていたのはあくまでも寺島氏、神原氏、松岡氏であり天ヶ瀬冬馬伊集院北斗御手洗翔太ではない。けれどきっと演者の三人は天ヶ瀬冬馬伊集院北斗御手洗翔太がアイドルとしてステージに立ったときにこういう表現をするんだろうなということを考えて、出来る限り実演して下さっているのだと思う。とてもありがたいことだ。
そして、本業アイドルのJupiterはあれ以上のものをステージで作ってファンに魅せているのだと、そう確信できたステージだった。

手に負えないと思った。

筆者はJupiterが大好きだ。端から見たらJupiter担当Pなのだろう。その認識で間違いはない。筆者はJupiterの三人のことが大好きで三人の中でも天ヶ瀬冬馬くんに対してちょびっとだけ重い感情を抱いている。

アイドルマスターというコンテンツにおいて、ユーザーは『プロデューサー』と呼ばれる。
形はどうあれ担当アイドルと出会い、担当アイドルのプロデュース(ガシャを引いたりイベントを走ったりグッズを集めたりライブに行ったり総選挙で投票したりダイマしたり二次創作をしたり)をする存在のことだ。
筆者にも担当アイドルと呼ぶべき存在が居る。彼女たちのプロデュースをしているという自覚もある。けれどJupiterの三人に対してはそんな感情を全く持っていない。『プロデューサー』という意識はなく彼らのことを応援していた。
自分のそういうスタンスに疑問を持ちながらもだらだらとSideM界隈に居座ってしまい、一年半が過ぎた。まだ一年半。小娘の妄言にも程がある。

GLORIA MOMENTのステージを見つめながら、演者三人のパフォーマンスよりももっともっとレベルアップしたJupiterのステージを想像したら、とてもじゃないがJupiterのプロデューサーにはなれないと思った。
中でも天ヶ瀬冬馬のプロデューサーにだけは絶対になれない、なりたくないと思った。どうしてなりたくないのか、その理由もなんとなくわかった。

Jupiterの完成されたステージを客席から眺めていたかった。
天ヶ瀬冬馬に相談されたり弱音を吐かれたりアドバイスを送ったり、そういう立場の人間にはなりたくない。
ステージの上に立つアイドルの天ヶ瀬冬馬は誰よりも煌めいていて格好いい。そういう姿を見つめていたい。

アイドルは偶像で、ちょっとしたキャラ付けがされていると思う。例えば『熱血俺様系』例えば『アイドル王子』例えば『国民的弟』。
それはきっと、ありのままの本人の姿じゃない。
天ヶ瀬冬馬がスパイスからのカレー作りが得意でプラモデルに目がなくて蒼井兄弟のファンであるといった、年相応の可愛らしい一面を持っていることを知りながら、それでもアイドルとしての天ヶ瀬冬馬を追っていたいと思った。

プロデューサーとはアイドルだけではなく、その裏にいるアイドル本人をも支えるような存在だと思う。アイドルが迷っていたらアドバイスを送り、前向きになるような言葉を掛け、一緒にステージを作って、泣き、笑い、アイドルと共に成長していく。
最近盛り上がっているシャイニーカラーズのプロデュース:WINGがまさにそうだ。一人の女の子と出会い、彼女をアイドルのトップへと導く。準決で敗退したときに社長から掛けられる「お前、担当アイドルのことをどう思ってる?」という言葉には胸が抉られる。これを初めて聞いたとき軽く死にたくなった。

アイドルマスターというコンテンツにおいて、ユーザーが『プロデューサー』という存在にどれだけ重きを置いているかは人それぞれだと思う。
そこのところ筆者は『プロデューサー』を名乗るからには『アイドル』と一蓮托生となり担当アイドルを誰よりも上へ、頂上へ導く義務があると思っている。本人が望むなら尚のこと。

天ヶ瀬冬馬はトップアイドルを目指しているアイドルだ。それも伊集院北斗御手洗翔太と共に、Jupiterがトップアイドルになることを夢見ている。
Jupiterはトップアイドルになれる。そう信じている。けれどそこに至るまでにプロデューサー=自分という存在は不要だとも思っている。
彼らをトップアイドルへと導き、彼らがトップアイドルになる瞬間を舞台袖から見届ける存在が居るなんておこがましい。Jupiterに釣り合うようなプロデュースをできる人間なんか居ない。Jupiterにプロデューサーなんか要らない。プロデューサーなんか居なくても三人は自分たちの力で前に進めるだろうしトップアイドルにだってなれる。
……たかが二次元のキャラクター相手に、誰かの手で作られた存在に対してこんなぐちゃぐちゃで馬鹿みたいなことを思ってしまう。彼らがあまりに理想のアイドルなものだから頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
だって彼らは裏切らないのだ。いつだって全力でアイドルをしてくれる。引退しないという保証もある。永遠にアイドル。そういう存在だ。

Jupiterの三人は、初めて出会ったときからアイドルだった。筆者はアイドルではない三人に出会ったことがない。唯一、あの海辺で出会える天ヶ瀬冬馬だけがアイドルではなかった。きっと。
あの海辺で天ヶ瀬冬馬が見つめていたのはすでに他事務所のアイドルをプロデュースしている人間だった。あの天ヶ瀬冬馬に「あんたがジュピターのプロデューサーだったら…」とまで言わせた存在だ。その言葉は当人に届かず会話は終わるという大変エモエモしいシーン。大好きで大嫌いなシーンだ。
天ヶ瀬冬馬のことを、帰る場所をなくした子犬みたいだと思った。
救えるものなら救いたかった。
けれどプレイヤー=あいつには心に決めたアイドルが三人も居て、天ヶ瀬冬馬のことはライバル事務所のアイドル程度にしか考えていない。それは「プロデューサー」という存在を求めた天ヶ瀬冬馬に対してあまりにも残酷な事実だった。
あまり考えたくないが、この一連のやり取りが筆者にとって天ヶ瀬冬馬のプロデューサーを名乗れない要因のような気もしている。
あそこで手を差し伸べなかったくせに今更じゃないかとか、天ヶ瀬冬馬が求めた「プロデューサー」はあいつ一人なんじゃないかとか、今でもずっと、ぐるぐるぐるぐる考えてしまう。

だからかもしれない。天ヶ瀬冬馬に「プロデューサー」と呼ばれるたびに、違うと思ってしまう。自分のことを「プロデューサー」呼ばわりする天ヶ瀬冬馬のことを突き放してしまいたいとすら思う。
トップアイドルにはなってほしいけれど、そのための応援だって惜しみなくするけれど、大好きだけれど、隣に立って一緒にトップアイドルを目指すつもりはさらさらない。
愚直で無垢な17歳の少年相手に大人げないがこれが本心だ。

筆者が天ヶ瀬冬馬というアイドルに心奪われたのは『Episode of Jupiter』のライブシーンだった。はまりたての頃はこの2分15秒のライブシーンを一人で何時間も狂うほどに観ていた。
インディーズ活動に苦悩していた彼らが進むべき道を見つけてそれをファンに報告する移籍後初のライブ(おそらく)。三人とも笑顔で、生き生きとしていて、キラキラと輝いていた。
天ヶ瀬冬馬「俺たちなら、楽勝!だぜっ!」を聞いたとき、こんな狭いライブハウスで楽勝と言えるなんてすごいなと思った。
楽しそうに汗を飛ばしながら踊る三人に対して『生きてる』なんて当たり前のことを思った。
Jupiterというアイドルは存在していると思った。
「キミを今連れてゆくよ」という歌詞の通り、どこまでも連れて行ってほしいと思った。




自分はJupiterの何なのか、ふらふらとさまよいながら一年半。中途半端が一番嫌いな天ヶ瀬冬馬のことを応援しているくせにあまりにも半端な状態だった。
でも4thを経て吹っ切れてしまった。
自分が見たいものとか信じたいものとか、そういうものがわかってしまった。
『プロデューサー』じゃなくても彼らと同じ景色を見ることができるんじゃないかと思えてしまった。
『プロデューサー』ではない自分のことも三人は許してくれるんじゃないかと思えてしまった。

だから今日も天ヶ瀬冬馬伊集院北斗御手洗翔太の三人がステージに立つ姿を夢に見る。
彼らの横には立たず、真正面から。
ペンライトを持ち、大好きだというラブコールを送りながら。